陶器の歴史

陶器の歴史時代別 → 明治・大正

時代別

明治・大正時代

染付花瓶

江戸の好景気は続かず、多くの窯が「まるもの」といわれる日用品を製作する窯を除き、哀れにも潰れていきました。
勿論辛い試練のこの時期を耐え抜き今日に繋いだ名窯もたくさんあります。
特に明治初期に、これまでの手作りの芸術品型から洋の技術を導入し、有田焼の改良がドイツ人のワーグナーによって行われ、1875年有田に香蘭社(染付花瓶)、1904年には名古屋に日本陶器(ノリタケ)が設立され近代陶磁器窯業が出発しました。洋食器文化に支えられた西洋の方が進んでいたということです。

硬質陶器

明治末期になると、盛業であった四日市萬古も不況に悩むことになりました。
これを新製品を開発することによって、打開しようと西洋の硬質陶器の研究がはじまりました。
日露戦争で現物を実現した水谷寅次郎は、長年の苦闘の挙句、石炭窯による簡単な半磁器式特殊硬質陶器を産み出しました。
丁度、改元の時であったので「大正焼」として売り出し、大成功しました。
1920年には大量生産が可能なトンネル窯が導入され、1917年東洋陶器や、1919年日本碍子が設立されました。
また陶芸の分野では、現在に残る名品を創出された板谷波山・富本憲吉などの多くの陶芸家が生まれました。