時代別
奈良時代
焼き物に色がついたのは、中国から奈良時代に三彩陶が入ってきてからで、それまでは自然釉(窯の中で燃料の薪が溶融剤となって、粘土中の長石を溶かしてガラス質をつくる)だけでした。日本でもその影響で、正倉院に残る奈良三彩などがつくられるようになりました。
平安時代には、すでに釉薬は使われていましたが、まだごくわずかでした。
本格的に釉薬を施した陶器が焼かれたのは鎌倉時代の古瀬戸からで、灰釉と鉄釉の2種類が使われていました。
この瀬戸の施釉陶は高級品として焼かれており、庶民向けには常滑や渥美などで無彩釉のものが焼かれていました。
当時、力を蓄えつつあった地方の豪族たちは、中国から輸入される陶磁(白磁)をステータス・シンボルとして使っていたそうです。
中世(平安・鎌倉・室町時代)には東北から九州まで50ヵ所におよぶ地方窯があったそうですが、良質の器が焼けない窯や、歩どまりの悪い窯は次第に淘汰され、良品を焼くことができた窯が選ばれました。
こうして生き残ったのが「六古窯」(瀬戸、常滑、備前、丹波、信楽、越前)だったというわけです。